意見詰め合わせ。ブログとか、テストとか、日本語とか、英語とか

ブログとか

こうやって、ブログを書いているが個人が発信媒体を持っていることは素晴らしいことだと思う。

 

これまでは、技術力の関係上マスコミが情報発信を専有してきたが現代ではそれは通じない。

 

そもそも、能力が高くその地位にいるわけではなく既得権益と利潤にしがみついているだけなのだから当然そのクオリティは推して知るべし。だ。

 

 

適性とか

私自身はどうやら、ものを創る方に向いているらしい。

 

新しいことを取り入れる。創る。改善する。発達させる。

 

その過程で自分の能力の向上を実感できるためだ

このブログでも自分の思った事、内にある思考を言語化することで表現できるので、アウトプットとして非常にありがたい存在である

 

 

日本語嫌いとか

 

私自身、現代の日本語は嫌いだ。用法。文法に法則性がなく。新しい言葉を取り入れるが理解を放棄して上っ面だけを並べている。

 

皮膚感覚・肌感覚的に気持ちが悪い。嫌悪感が拭えない。

些細なこだわりだとは思うのだが、

 

結局の所使いこなせていない。この一点に尽きるのだろう

 

 

 

英語とか

英語学習で思ったのは日本語の教育は頭がおかしい。

とそう思った。私にとって向いていないというのもあるが~用法。この時はこう。

という考え方は、単純パターンを10の10乗程覚えろと言っているのに等しい。

また、応用が聞かず文章を書く際に足枷にしかならない。

 

時間の無駄である。

 

私の次の課題は、英会話と文章だ。

 

 

 

 

テストか

「他人にやらされるテストは無駄だ」

しかし、

「自分の確認のためのテストは大いに効果がある」

 

 

テストとは本来は確認だ。それが一般的には試験。と混同されるのでその効果がぶれて認識されている。

 

例えば、英語学習をしていて理解度を図りたい。

    現場での開発に携わったが自身の理解レベルをしりたい。

 

本来 資格やテストとはこういった使われ方をするものだと思う。

 

これに気づいたのは最近だが良きにせよ。わるきにせよ。

其の結果、確実に前進する。

私の場合は、プログラミングで機能を覚えたらなんでもいいので作ってみる

イラストなら、投稿してみる。

などである。

 

一番良いのは人にみてもらう。だ

もう少し付け足すのなら、人に見せるのにあんありいい加減なことはできないので、頑張って書くし、ネット社会ならフィードバックをくれるから。

だ。

言葉は正確に使おう。日本語は言葉足らずすぎる。相手が読み取ってくれるかも。など甘えにすぎない。言語がすることで相手のためだけではなく自分の為にも言語化するのだ。