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よく同じ人間などと言いますが、人間が平等なわけないでしょう。じゃあどうするの?という話し。

共通なわきゃ無いでしょう。

 

1

例えば、身長150cmと190cmの男が居たとして、同じ視界なわけないでしょうが。

 

身長だけでもこれです。

2

これがイケメンかそうではないか。としたらどうでしょう。

顔のいいほうが基本的に得をしますよね。不細工な方には失礼ですが損をすることが多いでしょう。

 

3

体の違いってありますよね。スポーツ選手なんかはわかりやすいですが向き・不向きってあります。

 

4

他にも地域性の違いってありますよね。大阪と東京とか小さいレベルの話じゃなくてブラジルとロシアの人間の考え方が同じな訳ないでしょう。

環境が違えばまずもって、文化が違います。文化が違うと言うことは考え方が違います。

要は、そういうことです。

 

では、どうやってその違いを埋めようかと考えたとき、残るのは知性と経験。

その他に立ち振舞いや語学といったところでしょうか。

 

・知性とは俗にいう雑学とかではありません。

自分の関わる範囲内の興味の幅を増やしたり、挑戦したりできるか。新しいことを取り入れようとしているか。よりより人生を送るためにどのような努力をしているか。

こういったことで知性や教養は磨かれるのだと思います。

 

これも方法論をかければ良いのでしょうが、そんなものがあるのならこっちが教えてほしいくらいです。

 

とはいえざっと考えれるのは

・知識同士をつなぎ合わせて物事を考える

・疑問は本に頼る

・媒体や道具の役割を考える

・人にどう見られているか(礼儀的な意味です)

・現状、自分がおかれている原因はなんなのか

・なにしたいのか、そうすればどうなるのか

・失敗を分析して次に活かす。

 

1個1個を方法論にまで落とし込めるけど枠が絶対に足りませんね。

 

まだまだ若輩の身なのでわからないことは多いですが。

要約すると「健康で規則正しい生活を送り、人への配慮を忘れず、自分の失敗を省みて新しいことを取り入れ、挑戦を続ける」

のかなぁ・・・と

 

でもこれ厄介なのが、人による、人格が違えば価値観が違うってことなんですよねー。

 

"天は人の上に人を造らずと云へり"

人は生まれながら平等であると言われているが、
現実には大きな差がある。それはなぜであろうか。
その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。

 ~福沢 諭吉~

 

 現実には大きな差がある。それはなぜであろうか。

因みにですが、私は日本の高学歴=賢い。とは考えていません。

私の低学歴の僻みと言われれば返す言葉もありません。

しかし、根拠はあります。

日本の教育とは即ち、

上からの意味不明・理解不能な・指示を受け取れ疑問を持たずに従える人間=賢い

 

という構図になっています。多分狙ってこうなってはいません。

島国という文化土壌と戦前の価値観が歪に重なってこうなったと思います。

実際、自分よりも高学歴な方と話していても特に知性的だと感じたことはありません。その場、その場を上手く誤魔化し、上手く人に従う姿勢を見せる能力に長けているな。とは感じました。ただ、自分で考えたりこうしたらいいのに。という姿勢は全く感じませんでした。

私が立ち振舞や言動から知性を感じる方というのは企業の社長レベルの方からだけでした。

 

まぁ、私の主観ですのでアテにはなりませんね。

 

因みに私の考える知性のある人間はというと、

・話の目的を見失わない。

・礼儀を知っている

・やっている範囲以外でも知識・経験を積んでいる

・言動が身勝手ではない

言葉にするとかなり曖昧ですね。

 

しかし、自分を高める努力や意識をしていると、出来ていない人が異常に多いです。

そういった方の基準は自分ではなく誰かがやっているから。

なのでしょう。

だから、自分では考えない。直さない。

結果的に程度が低いまま。となります。

 

要するに、自分の良くない所は放っておかずに、情報や人に聞いて良くしていく。

というだけなんですが。

これすら出来ていない人の多いこと。多いこと。

 

面接で目上の方人と会いますが、合って話せばどういう人間か大体わかります。

仕事面でどうとかではなく、どういう人間か。という話ですが。

・服装

・言動

・話の順序

・姿勢

・目線の動き

 

それが分かるせいで自分が縮こまっているので、笑うしかないですが。

最低限地雷は踏まなくて済みますね。